われは素と薩摩の人なり。世々宅る所は鹿児島市の東方、本立寺馬場にありて、彼れ桐野が晩年に住たりし家と相距ること酷だ近かりき。されば、われ幼かりし時、また曾て略ぼ此の英雄の面目を識る。たしか明治八九年の頃なりしとおぼゆ。群童日ごとに寺尾氏といへる豪屋の門前に寄りつどひ、石を積み地に書がきて遊びたはむる。此際おり/\短髪木履肩に猟銃をかけたる偉丈夫の過るあり。群童をみて破顔微笑し、時に近づき来り、温言を加え、頭をかいなでゝ去るを例とす。
(春山育次郎「少年読本第11編」博文館)
與左衛門は和田才助といへる郷先生について、少し学び、ほゞ読書を解する人なりければ、彼始は兄に従ふて句読を授けられしが、後には多く外祖父(別府)四郎兵衛につひて学びけり。四郎兵衛は同里の人にて、近傍に住へりしをもて、彼は日ごとに書をたづさえて外祖父の家にかよひぬ。
(中略)
四郎兵衛は此頃その外孫なる彼を愛すると深かりけれど、教戒はなか/\厳にして少しも假さず。その復習をおこたり、前日の学ぶ所を忘るゝが如きときは、いたく之を責め、さらに読書を課すると多く容易に帰り去るを許さねば、彼は課業の重きに苦みて、頻りに煩悶懊悩すれども、復た如何ともすべからず。斯くて、やう/\にして帰宅を許され、足僅に門の外に出るや否や、忽ち内を顧みて外祖父をのゝしり、馬鹿オンヂョ(老爺)と大呼し去れるぞおかしれけれ。
(中略)
彼は外祖父が授業のやかましきを厭ふこと甚だしく、斯く罵り去りて帰り、明くる日はふたゝび往かむとする色もなきを、彼の母と彼の兄とは、或は叱り或はさとして四郎兵衛の家にかよはせしこと幾たびとも知れ難き程なりけり。
(中略)
仮名交りの漢楚軍談演義三国志などの如き軍書戦記のたぐひは、自ら好みて之を読み、また能く之を談じたり(春山育次郎「少年読本第11編」博文館)